毎日、何らかの本を読んでいます。
会計関連の専門書に限らず、興味の赴くまま、いろいろなジャンルのものを読んでおり、その中には古典といわれるものが含まれることもあります。
古典というと取っ付きにくいものですが、人から勧められたものや他の本の中で著者が触れている書籍などで、少しでも興味が湧くものを読んでいます。
今の時代、SNSなどを通じて誰でも簡単に全世界に向けて情報発信でき、かつ、発信した情報を記録することが可能です。毎日、飛び交うこれらの膨大な情報のうち、どれだけの情報が50年後にも意味をもつのでしょうか(50年というのは世代を超える期間のイメージです)。
古典が書かれた時代は、今より情報発信そのものや記録に残すことが難しかったにも関わらず、世代を超えて現代まで読み継がれてきたものが古典です。
これは、つまり、古典に記載されている内容が、人間の本質に迫っており、時代が変わり人が入れ替わっても共感できる内容なのだと思います。
自分は、1冊の古典を読んでも、1回でそのすべてを消化できているわけではないですが、1つ、2つ、その時の自分に腹落ちする箇所があれば、折に触れて何度もその個所を読み返しています。
古典読書などというと何か高尚な感じがしてしまいます。。
そう難しく考えずとも、古典読書によって、実際には会うことがない(しかし、確かに存在した)著者の話を、本を通じて聞くことで、時間と場所を超えた人間の本質に思いを馳せています。