「輝き」を表現する楽しさについて

四季

スマホで気軽に写真を撮れる今、写真を撮っている人を見ない日はありません。

かくいう私もその1人なのですが、なぜ、人は写真を撮るのでしょうか?

私の場合、自分が目にした「輝き」を切り取って、他の人にシェアしたり、後で自分で楽しむためと言えます。

この場合の「輝き」とは、スーパーで買ってきた梅の実を窓辺で風にさらしながら感じる梅の香、温泉上がりの窓から見える青紅葉の涼感、子供に自転車を教えながら自分も親から教わったことをなつかしく想う時、などその瞬間瞬間ごとに存在するもので、2度と同じものが戻ってくることはありません。


だからこそ、いとおしく、残したておきたくなるのかもしれません。

はじめのうちは、撮った写真をインスタグラムなどにアップするだけだったのですが、最近は、写真を撮ったときに感じた心情などを俳句や短歌に詠んで写真につけています。
(このブログの写真もそのうちの1つです)

自分が感じた「輝き」は、実際に目に映る情景にとどまらず、視覚以外の五感やその場で想起した想いを含んでいます。

俳句であれば季語を含めた五七五、短歌であれば五七五七七の三十一文字(みそとひともじ)という制約の中で情景や心情を表現します。
制約があるからこそ、その中で何を残して何を削るか考えることになり、そうしてできたものは短い言葉の中で多くを表現できるものになるのだと思います。

誰もが自由にいくらでも情報発信できる今、このような大きな制約の中で言葉を凝縮して発信する手法は宝物といえるのではないでしょうか。

「輝き」というとても繊細なものを表現するにあたって、写真は目に見えるもの、いわばその外側を切り取ります、一方、俳句や短歌は目では見えないもの、いわばその内側を切り取ります。

ある瞬間に、ふと自分が感じたり、考えたりしたことを、いろいろ工夫して表現することはなかなか楽しいものです。

今日の帰り道、ふと心に触れたものを一枚撮ってみてください。
そして、その写真に添える俳句、短歌を考えてみると案外、面白いかもしれません。

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